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変わらないデザイン(ハンドル編) ( 2017.08 )

日常、人は色々なモノを使い、接している。
人間が意図して作ったモノ、または、自然界が当然のように創造したモノ。
この文書を書いているペン、パソコンのキーボード、メガネ、ライター、携帯電話、椅子などなど...。すべてが意味のあるモノだ。存在することは“何かのために”という、言い換えれば「使えるモノ」ばかりだ。

そんな無数にあるモノの中には、相当な年月が経っても、その基本的な形状を変えないでいるモノも多数ある。


先日、久しぶりにクルマで買い物に行った。購入したいものはA1のケント紙。1枚をキャンパス全体に綺麗に貼り付けたかったので、紙を丸めたり、折ったりしないで入手したかった。そのため、クルマで行けば、そのまま丸めずに購入店からそのまま自宅へ持って帰れる。


しかし、運転しているとき、ふと思った。クルマのタイヤが円形なのは、物理的に理解はできる。でも、ハンドルは何故「円形」なのか?


人に聞けば、「回すから当然だ」と、返答されるのも容易に想像がつく。しかし、何故...?
この疑問が運転中、頭から離れなかった。


クルマにも車種によっては、多少の違いは当然ある。
楕円形(俗に言う“Dシェイプ”)だったり、ハンドルを切るときに、指が引っかかりやすいように、凹凸があったりする。
でも、“円形”だ。これは今も昔も変わっていない。


私は思った。自動運転が実用化されつつある今、この先も同様に「“円形”である必要性はあるのか?」と。


もともと、クルマ好きな私は、デザインや性能に加えて、“乗り味”に興味がある。
以前、クルマを所有していない時期があり、レンターカーを頻繁に利用し、色々な車種を乗り比べることができた。
そして、その“乗り味”は、誰にでもすぐ分かると思う。アクセルを踏んだ時の発進のフィーリング、ブレーキをかけた時のクルマ全体が止まる感じ。また、カーブを曲がる際、スムーズな挙動でクルマが曲がるかなど、車種によって、面白いように違う。

でも、どんな車種でも、同じモノ、同じ形状のモノがある。それが、「ハンドル」だ。
タイヤは、すでに述べた通りだが、ハンドルは何故、今も変わらない...?


まぁ、回すという行為から、円形をしているのは理解できるが、未来も同じ形で良いものなのか、と期待と不安がある。


前途の通り、“乗り味の良し悪し”だが、このハンドルも大きな要素である。
良いか悪いかは別として、まず、国産車と輸入車では、フィーリングが違う。(当然かもしれないが)
あくまでも、試乗会やレンタカーなどで握った程度の話ではあるが、やはり、輸入車は、握っていて気持ちが良い。うまく言葉で言えないが、「しっとり感があり、手に同化し、気持ちが落ち着く」。
一方、国産車の多くは、それがない。
握った感じは、「これ、プラスティック製?。硬い鉄の輪?」という感触がし、運転をしていて、手が落ち着かない。つまり「不安」なのだ。


ただ、私自身が乗った国産車でも、“これは良いかも!?”と思うハンドルもあった。 1つ目は、スバルのSTI。2つ目はマツダのアテンザである。


STIは、円形の下部をカットするDシェイプの形状で、見た目がかっこいい(Audi TTとかと同じ)。
なんだか、早いスポーツカー(実際に早いが)を運転している「戦闘モード」な気分になる。
しかし、革が良くない。しっとり感がないのである。「革ハンドル」というのは、1つの大きなオプションである。しかし、自分が期待していた程のものではなかった。残念。
後者のマツダのアテンザは、逆で、国産車には珍しく、ハンドルにしっとり感があった。1日無料試乗というディーラーのキャンペーンで乗ってみた。これは意外と良いのでは?と思った。残念なのは、今回の話題には少し脱線するが、ハンドルが軽すぎる。カーブを曲がる時に、ハンドルを左右に回すが、この時、軽く回せてしまう。軽いこと自体は悪い事ではないが、私自身としては、ある程度の操作感覚を感じたいので、重めのハンドルを望んでいた。そう感じたのは、そのせいかもしれない。
このあたりを踏まえると、私感として、AudiやBMWには、及ばなかった。外車はエントリークラスでさえ、気持ちの良いしっとり感を与えるハンドルを装備している。日本車も是非、そうしてほしいと思う。


クルマを製造する場合、どうしてもコスト面の配慮が必要らしい。以前、マツダのクリーンディーゼルに関する本で読んだことがある。
期待を込めて言いたいのは、自動運転が日常化されていない現在、ハンドルは「ドライバー」と「クルマ」が接する重要なパーツ。
輸入車を見習えという事ではないが、それなりの“工夫(施策)”がほしいものだ。


スバルのSTIとマツダのアテンザ。私感としては、良い部分も感じられた。


強引かもしれないが、「デザイン」と「アート」の関係性にも少なからず置き換えられるのではないだろうか。
見た目はかっこよく、触れて気持ちが良い...。合理的で非合合理。この相反するものを同化することは、果たしてできるのであろうか。

ハンドルを握って、改めて考えた。


※ハンドルについては、「research Collection」でも同様に私見を紹介しています。