デジタル化により、生活は便利になった。昭和生まれの私。時々、子供の頃を思い浮かべ比べてみると、本当にその変化に改めて驚かされる。
任天堂の「ゲームウォッチ」が世に出たあたりが、私にとって大きな変革期と考える。それまで、一体何で遊んでいたのか?
ゲームウォッチが出る前は、何で遊んでいたのか、記憶が定かでない。近くの川にザリガニを取りにいったりしていたくらいしか思い出せない。いやいや、サッカーとか野球などのボール遊びをしていたな。そうだ。家の中でなく、遊びといったら家の外にあった。
任天堂はその後、ファミリーコンピュータを発売。セガもゲーム機を販売していたな。確か。
そのまま、世の中は急速にデジタル化していった。NECがPC98シリーズを販売した、Appleコンピュータも出現した。今はスマホなる電話を1人一台持っている。これって、すごいことじゃない!?
急速なデジタル化により、今後はVRなど仮想現実なるものも登場。
でも、そこでふと思った。「デジタルに価値ってあるのだろうか?」
デジタル化が進むと、非常便利である。人間が何時間かけて行なっていた作業をあっという間に済ませてくれる。しかも正確にだ。でも、デジタル化が進むことによって、アナログの価値は上がると思う。
昨今のコロナ禍により、リモートワークが主流となって、会議などはWebカメラ越しに行う。以前は、遅刻しない様に会社へ出社し、会議に間に合う様にコピーを人数分取り、会議に挑む。コピー機ってやつも私が幼いころは一般化していなかったな。
デジタル生活に慣れてくると、リアルに相手に相手に会うこともなく、別れがやってくる。もう一生会うこともない。また、googleMapを利用すれば、地球上のどこへでも行ける。SNSで情報共有が盛んになり、TVニュースなんて見ない。YouTubeで済んでしまうし、YouTubeの方が、都合の良い時に見ることができるので、当然、便利だ。
私はふっと思った。
「デジタル化により、アナログの大切さが再認識され、リアルに人とあう、リアルに旅行する、リアルにサッカーの試合を見にいく。このような行動に新しい価値が生まれるはずだ」
結局、人間である限り、リアルから遠ざかることは出来ないね。デジタルで人と会い、次にリアルに会う。この繰り返し。今後は旅行会社(もちろんリアルな)や展示場、球技場、コンサートなどに価値が生まれると思う。だって、そこにデジタルはないからね。
以上